探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-あ-


アイルズ,フランシス(Francis_Iles)

本名アントニー・バークリー・コックス。オックスフォード大卒。アントニー・バークリー名義でも多数執筆。別名A・モンマス・ブラッツ。1893年(明26)、イギリスのハートフォードシア、ウォトフォド生まれ。
1913年(大2)、「グランド・マガジン」に匿名で14行の戯詩「To Evadne」を発表。
1922年(大12)、「デモクラット」にA.B.コックス名義でショート・ショート「I Wonder」を発表。
1922年(大12)、「デモクラット」にA.B.コックス名義で犯罪をテーマにしたショート・ショート「殺しの定義」を発表。
1925年(大14)、匿名で初の探偵小説「レイトン・コートの謎」を発表。この作品は2003年(平15)に宝島社の「このミステリーがすごい!」8位に選ばれる。また、2002年(平14)に「週刊文春」の「傑作ミステリーベスト10」の7位に選ばれる。
1925年(大14)に発表したアントニー・バークリー名義の「偶然は裁く」が、1934年(昭9)、延原謙により、「新青年」で訳される。
1928年(昭3)には、イギリス探偵作家クラブを設立し、チェスタトンを会長に据えて、アイルズは書記長に就任し、「漂う提督」など連作探偵小説を企画した。
1929年(昭4)、バークリー名義で「毒入りチョコレート事件」を発表。
1930年(昭5)年に発表したアントニー・バークリー名義の「第二の銃声」が、1996年(平8)に宝島社の「このミステリーがすごい!」5位に選ばれる。また、「『このミス』が選ぶ過去10年のベスト20」の10位に選ばれる。
1931年(昭6)、倒叙もので心理描写に優れた「殺意」を発表。
1932年(昭7)、「犯行以前」を発表。1941年(昭16)にはヒッチコックにより「断崖」として映画化された。
1933年(昭8)、バークリー名義で「ジャンピング・ジェニイ」を発表。この作品は2002年(平14)に宝島社の「このミステリーがすごい!」5位に選ばれる。また、この作品は2001年(平13)に「週刊文春」の「傑作ミステリーベスト10」の8位に選ばれる。
1937年(昭12) 、バークリー名義で「試行錯誤」を発表。
犯罪心理小説の開拓者。
1971年(昭46)、死去。


蒼井雄(あおい・ゆう)

本名藤田優三。1909年(明42)、京都府宇治生まれ。本名でも執筆。
1934年(昭9)、「狂燥曲殺人事件」を編集部の推薦により、「ぷろふいる」に発表。
1936年(昭11)、春秋社の書き下ろし長編募集に一席入選の「船富家の惨劇」を刊行し、日本ではじめて現実的作風を取り入れた作品として話題になるが、地味な作風であるため、戦前には広く受け入れられなかった。
1936年(昭11)、「瀬戸内海の惨劇」を「ぷろふいる」に発表。
フィルポッツクロフツなどの海外作品を消化して、大自然を生き生きと描写しながら、アリバイ打破を中核にした本格長編を得意とする。
1947年(昭22)、「神戸探偵小説クラブ」を西田政治山本禾太郎酒井嘉七らとともに再興。
1975年(昭50)、心臓発作のため死去。

幻影城掲載誌:5/29/34/39/別冊幻影城掲載誌:13/日本長編推理小説ベスト99/別冊幻影城未刊行リスト/


赤川次郎(あかがわ・じろう)

1948年(昭23)、福岡県生まれ。
テレビドラマ「非情のライセンス」のシナリオ一般公募に「凶悪の花道」が入選し、放映される。
1976年(昭51)、「幽霊列車」にて、第15回オール讀物推理小説新人賞受賞。この作品は1978年(昭53)に「週刊文春」の78年「傑作ミステリーベスト10」の9位に選ばれる。
1977年(昭52)、「死者の学園祭」がTVシナリオ公募に入選。
1977年(昭52)、「マリオネットの罠」を刊行。
1978年(昭53)に刊行した「三毛猫ホームズの推理」が、1978年(昭53)に「週刊文春」の78年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1978年(昭53)に刊行した「ひまつぶしの殺人」が、1979年(昭54)に第32回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。さらに1978年(昭53)に「オール讀物」に発表した「善人村の村祭」が第32回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に「善人村の村祭」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1979年(昭54)に「オール讀物」に発表した「双子の家」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1979年(昭54)に「週刊文春」に発表した「禁酒の日」「徒歩十五分」(上役のいない月曜日) が、1980年(昭55)に第83回直木賞候補となる。
1980年(昭55)、「野性時代」に発表した「悪妻に捧げるレクイエム」で、第7回角川小説賞受賞。
1981年(昭56)に発表した「怪談」が 1982年(昭57)、第35回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。
1984年(昭59)に「問題小説」に発表した「茶碗一杯の復讐」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1985」に収録される。
1985年(昭60)に「月刊カドカワ」に発表した「自習時間」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1986」に収録される。
1986年(昭61)に「小説推理」に発表した「記念写真」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1988年(昭63)に「小説すばる」に発表した「回想電車」は日本文藝家協会の「現代の小説 1989」に収録される。
2004年(平16)に「野性時代」に発表した「鼠、泳ぐ」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成17年度」に収録される。
2005年(平17)、第9回日本ミステリー文学大賞受賞。
2億7千万部以上の販売実績を持ち、長者番付・作家部門で連続トップを達成。旺盛な執筆活動で、400冊以上の著作を持つ。ユーモアミステリが得意。

幻影城掲載誌:46/47/50/


赤沼三郎(あかぬま・さぶろう)

本名権籐実。1909年(明42)、福岡生まれ。九州帝大農学部卒。福岡大学教授、福岡大学図書館長、福岡大学理事を歴任。
1933年(昭8)、「解剖された花嫁」がサンデー毎日大衆文芸作品で選外佳作となり、「サンデー毎日」に発表。
1934年(昭9)、「地獄絵」がサンデー毎日大衆文芸作品で入選。
1937年(昭12)、春秋社の「書下ろし長編募集」に「悪魔黙示録」が入選するが、刊行されず、半分近くに短縮したものを大下宇陀児の斡旋で「新青年」に掲載。
1941年(昭16)に刊行された伝記文学「菅沼貞風」が出版文化協会と文部省推薦図書に選定される。
1944年(昭19)に刊行された「兵営の記録」が野間文芸新人奨励賞を受賞。

幻影城掲載誌:35/作家が語る探偵小説観/


芥川賞(あくたがわしょう)

1935年(昭10)7月から開始された日本文学振興会主催の文学賞。
一年を上半期、下半期の二回にわけて、授与される。文藝春秋社社長であった菊池寛が設立した。正賞は時計。第一回芥川賞は、石川達三の「蒼氓」。第12回から太平洋戦争となり、しばらくは続いていたが、1944年(昭19)、下半期の第20回、清水基吉の「雁立」で中断。戦後は、1949年(昭24)上半期第21回から再開された。受賞者は、由紀しげ子の「本の話」、小谷剛の「確証」。


麻田実(あさだ・みのる)

1936年(昭11)、東京生まれ。慶応大学経済学部卒。
1977年(昭52)、「幻影城」第二回新人賞評論部門に「編集者の不安-赤い館の秘密をめぐって」で佳作入選。

幻影城掲載誌:26/28/37/41/42/43/44/45/46/47/48/49/50/51/52/53/ブラックホール/


浅野玄府(あさの・げんぷ)

1893年(明26)、東京生まれ。早稲田大学英文科卒。
1921年(大10)、森下雨村と同窓であり、「新青年」にウェルズの「五羽の駝鳥」やチェスタトンの「青い十字架」を翻訳。このときには無署名だったが、のちに、チェスタトンの翻訳で有名になる。
記名原稿としては、1922年(大11)、「新青年」増刊号にハンショーの「消える男」とセキストン・ブレーク探偵談の「好敵手」を翻訳。
1970年(昭45)、死去。

幻影城掲載誌:22/


朝山蜻一(あさやま・せいいち)

本名桑山善之助。1907年(明40)、東京日本橋生まれ。
1939年(昭14)、同人雑誌「紀元」「モラル」に桑山裕名義で小説を掲載。
1949年(昭24)、百万円コンクールC級に応募した「くびられた隠者」を「別冊宝石」に掲載。
1952年(昭27)、「別冊宝石」に発表した「巫女」が新鋭コンクール第一位を獲得。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1953年版」に収録される。
1953年(昭28)に「宝石」に発表した「ひつじや物語」が1954年(昭29)に第7回探偵作家クラブ賞の候補となる。
1954年(昭29)、「宝石」に発表した「僕はちんころ」が、1955年(昭30)の第8回日本探偵作家クラブ賞の候補に挙げられる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
サディズムなど、異常心理の探求を得意とするが、のちに桑山裕名義で純文学に転じた。1958年(昭33)にいったん筆を絶ち、昭和30年代後半にアマチュア発明家として活躍した時期もある。
ほかに本名で、哲学や数学に関する著書がある。
新宿花園街の青線地帯に自宅があり、かつては探偵文壇の溜まり場になっていた。
1979年(昭54)、腸閉塞で死去。

幻影城掲載誌:6/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/20/21/22/23/24/25/52/


芦川澄子(あしかわ・すみこ)

本名古屋浩子。1927年(昭2)、東京生まれ。神戸の甲南高女卒。別名秘田密子。霧の会会員。
1952年(昭27)に胸を患い、療養生活に入る。
1959年(昭34)、「愛と死を見つめて」が「宝石」「週刊朝日」第二回共同募集の一等入選し、「週刊朝日別冊」に掲載。
1964年(昭39)、鮎川哲也と結婚するが、1967年(昭42)に離婚。のち、復縁。


亜城白人(あしろ・はくと)

1954年(昭29)、福井県生まれ。
1978年(昭53)、「幻影城」第三回新人賞小説部門に「蒼月宮殺人事件」が入選。

幻影城掲載誌:38/41/42/


飛鳥高(あすか・たかし)

本名鳥田専右。1921年(大10)、山口市生まれ。東京大学工学部卒。工学博士。不在クラブ会員。江戸川乱歩の隣人。
1947年(昭22)、「犯罪の場」が「宝石」第一回懸賞に入選。同時に1948年(昭23)の第一回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。
1958年(昭33)に刊行された「疑惑の夜」は、「背徳の街」として第三回江戸川乱歩賞の最終候補作。
1961年(昭36)に刊行された「細い赤い糸」で、1962年(昭37)の第15回日本探偵作家クラブ賞受賞。この作品は「ヒッチコック・マガジン」の1961年ベストで7位に選ばれている。
1961年(昭36)に「宝石」に発表した「細すぎた脚」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「オール読物」に発表した「大人の城」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「宝石」に発表した「お天気次第」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1975年(昭50)、コンクリート工学の研究で、日本建築学会賞を受賞。

幻影城掲載誌:7/10/17/日本長編推理小説ベスト99/別冊幻影城未刊行リスト/


阿刀田高(あとうだ・たかし)

1935年(昭10)、東京生まれ。早稲田大学仏文科卒。
肺結核を患ったため、体に無理のない職業として国会図書館の司書となる。在職中に「ブラック・ユーモア入門」などを出版したがあきたらず、奇妙な味のあるショート・ショートを発表するようになった。
1976年(昭51)、「小説新潮」に「冷蔵庫より愛をこめて」を発表し、第80回直木賞候補となる。
1978年(昭53)に「小説現代」に発表した「サン・ジェルマン伯爵考」は日本文藝家協会の「現代小説'78」に収録される。
1978年(昭53)に「別冊小説新潮秋季号」に発表した「来訪者」で、1979年(昭54)、第32回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1979年(昭54)に「小説新潮」に発表した「夢判断」は日本文藝家協会の「現代小説'79」に収録される。
1979年(昭54)に刊行した短編集「ナポレオン狂」で第81回直木賞を受賞。同時に「週刊文春」の79年「傑作ミステリーベスト10」の9位に選ばれる。
1980年(昭55)に「オール讀物」に発表した「雪おんな」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1980年(昭55)に「オール読物」に発表した「黒の匂い」は「壜詰の恋」と改題し、日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1981」に収録される。
1981年(昭56)に「問題小説」に発表した「マッチ箱の人生」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1981年(昭56)に「小説現代」に発表した「夜間飛行」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1982」に収録される。
1982年(昭57)に「小説新潮」に発表した「冥い道」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1982年(昭57)に「小説宝石」に発表した「影絵」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1983」に収録される。
1983年(昭58)に「オール讀物」に発表した「ありふれた誘拐」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1983年(昭58)に「小説新潮」に発表した「奇談パーティ」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1984」に収録される。
1984年(昭59)に「別冊婦人公論」に発表した「蜜の花」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1985」に収録される。
1986年(昭61)に「オール読物」に発表した「深夜劇場」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1987年(昭62)に「小説新潮」に発表した「家」は日本文藝家協会の「現代の小説 1988」に収録される。
1988年(昭63)に発表した「膝頭」は日本文藝家協会の「現代の小説 1989」に収録される。
1989年(平1)に「小説現代」に発表した「独り者学校」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。
1990年(平2)に「オール讀物」に発表した「姉弟」は日本文藝家協会の「現代の小説 1991」に収録される。
1991年(平3)に「小説すばる」に発表した「細長い窓」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1992年版」に収録される。
1991年(平3)に「小説現代」に発表した「黒と白のブルース」は日本文藝家協会の「現代の小説 1992」に収録される。
1992年(平4)に「小説宝石」に発表した「穴」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。
1993年(平5)に日本推理作家協会理事長就任。
1993年(平5)に「野性時代」に発表した「モロッコ幻想」は日本文藝家協会の「現代の小説 1994」に収録される。
1994年(平6)に「小説中公」に発表した「愛のすみか」は日本文藝家協会の「現代の小説 1995」に収録される。
1994年(平6)に発表した「新トロイア物語」で、1995年(平7)に第29回吉川英治文学賞受賞。
1995年(平7)に「小説新潮」に発表した「弁当箱の歌」は日本文藝家協会の「現代の小説 1996」に収録される。
1996年(平8)に「小説現代」に発表した「灰色花壇」は日本文藝家協会の「現代の小説 1997」に収録される。
1998年(平10)に「小説すばる」に発表した「大心力」は日本文藝家協会の「現代の小説 1999」に収録される。
1999年(平11)に「小説新潮」に発表した「すきま風」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説2000」に収録される。
2002年(平14)に「小説新潮」に発表した「海の中道」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説2002」に収録される。
2004年(平16)に「オール読物」に発表した「雨のあと」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説2005」に収録される。


阿部主計(あべ・かずえ)

1909年(明42)生まれ。
戦後探偵文壇の各賞の予選委員をつとめる。
渡辺剣次中島河太郎楠田匡介らとともに批評グループ「青酸カリグループ」を結成していた。また、渡辺啓助日影丈吉らとともに、東横線グループを形成。

幻影城掲載誌:2/4/7/18/24/


天城一(あまぎ・はじめ)

本名中村正弘。1919年(大8)、東京生まれ。東北大学理学部数学科卒。理学博士。
1947年(昭22)、「不思議の国の犯罪」を「宝石」に発表。
1947年(昭22)、香住春吾島久平らとともに、関西探偵小説新人会を結成し、創作中心の活動を行う。
1948年(昭23)、「高天原の犯罪」が「旬刊ニュース」に掲載され、旬刊ニュース新人コンクール読者投票で第五位獲得。
2004年(平16)に発表された「密室犯罪学教程」が、2005年(平17)に第5回本格ミステリ大賞の評論研究部門を受賞。宝島社の「このミステリーがすごい!」3位に選ばれる。さらに探偵小説研究会の「本格ミステリ・ベスト10」の9位に選ばれる。
密室を得意とする本格派。

幻影城掲載誌:14/25/


アメリカ私立探偵作家クラブ(Private_Eye_Writers_of_America)

1981年(昭56)に設立されたアメリカの作家団体。別名PWA。
私立探偵小説の普及と作家の地位向上を目的として、ロバート・J・ランディージにより設立された。機関誌「リフレクションズ・イン・ア・プライベート・アイ」の発行、アンソロジーの出版、アメリカ私立探偵作家クラブ賞(シェイマス賞)の授与などを主催している。


アメリカ探偵作家クラブ(Mystery_Writers_of_America)

1945年(昭20)に設立されたアメリカの作家団体。別名MWA。
作家の利益保護や探偵小説の普及をはかるために、月例会や大学における創作講座、講演会、セミナーなどを開催している。機関紙は「ザ・サード・ディグリー」。また、年次大会では、クラブから任命された会員によって選定されたアメリカ探偵作家クラブ賞の授与がおこなわれる。アメリカ探偵作家クラブ賞には新人賞、短編賞、長編賞、巨匠賞、ペーパーバック賞などがあり、ポーをかたどったトロフィが渡される。


鮎川哲也(あゆかわ・てつや)

本名中川透。1919年(大8)、東京生まれ。小学生のときに満州に渡る。敗戦後の栄養失調から肺を病み、療養中、探偵小説の執筆を思い立った。別名青井久利。
1943年(昭18)頃、佐々木淳子名義で、「婦人画報」の朗読文学募集で「ポロさん」が一席入選。
1948年(昭23)、那珂川透名義で、「月魄」を「ロック」に発表。
1948年(昭23)、薔薇小路棘麿名義で「ロック」第一回懸賞探偵小説の次点に「蛇と猪」が入選。同時に高木彬光の「白雪姫」が選外佳作になっている。
1949年(昭24)、中川淳一名義で「地虫」を「宝石」百万円懸賞の短編部門に入選し、「別冊宝石」に掲載。
1950年(昭25)、中川透名義で「宝石」百万円懸賞の長編部門に「ペトロフ事件」が二席入選し、「別冊宝石」に掲載。しかし、「宝石」の経営環境悪化にともなう懸賞金不払いでトラブルをおこし、鮎川哲也は同誌と一時疎遠になる。「ペトロフ事件」は1943年(昭18)頃にクロフツの「ポンスン事件」に触発され、いったん書き上げられたが、原稿は紛失してしまっため、再度記憶を辿って書かれたもの。この作品は、1951年(昭26)には第4回日本探偵作家クラブ賞長編賞の候補となった。
1953年(昭28)、同人誌「密室」に中川透、宇多川蘭子名義で「呪縛再現」を発表。
1954年(昭29)、Q・カムバア・グリーン名義で「山荘の一夜」を「探偵実話」に発表。
1954年(昭29)に中川透名義で「探偵実話」に発表した「赤い密室」が、1955年(昭30)の第8回日本探偵作家クラブ賞の最有力候補となったが、高木彬光が手を入れているという事実無根の噂を流し、受賞を逸する。この作品は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1956年(昭31)、書下し長編探偵小説全集の新人募集懸賞である“13番目の椅子”を射止めた「黒いトランク」刊行の際、鮎川哲也にペンネームを改める。「黒いトランク」は横溝正史の「蝶々殺人事件」に挑戦した作品だという。この作品は1957年(昭32)、が第10回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。日本屈指の名作として名高い。
1956年(昭31)に「動向」に発表した「青いエチュード」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)、NHKのテレビ番組「私だけが知っている」の脚本を山村正夫笹沢左保土屋隆夫夏樹静子藤村正太とともに執筆。
1957年(昭32)、「りら荘事件」を「探偵実話」に発表。
1957年(昭32)に「宝石」に発表した「五つの時計」が 1958年(昭33)、第11回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年度版」に収録される。
1958年(昭33)に「宝石」に発表した「白い密室」が、1959年(昭34)に第12回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)に「オール読物」に発表した「金魚の寝言」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1959年(昭34)に「宝石」に連載した「黒い白鳥」と、同年書下しの「憎悪の化石」で、1960年(昭35)の第13回日本探偵作家クラブ賞受賞。
1960年(昭35)に「宝石」に発表した「急行出雲」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に「週刊文春」に発表した「人はそれを情死と呼ぶ」は「ヒッチコック・マガジン」の1961年ベストで5位に選ばれている。
1961年(昭36)に「別冊小説新潮」に発表した「ああ世は夢か」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「小説中央公論」に発表した「下り「はつかり」」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「オール読物」に発表した「わるい風」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)、芦川澄子と結婚するが、1967年(昭42)に離婚。のち、復縁。
1965年(昭40)に「推理ストーリー」に発表した「死が二人を別つまで」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1970年(昭45)に「小説現代」に発表した「水難の相あり」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1972年(昭47)に「別冊小説宝石」に発表した「竜王氏の不吉な旅」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)に「別冊小説宝石」に発表した「中国屏風」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1975年(昭50)に「問題小説」に発表した「割れた電球」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1976年版」に収録される。
1976年(昭51)に「問題小説」に発表した「相似の部屋」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1979年(昭54)、「沈黙の函」が「週刊文春」の79年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1980年(昭55)に「瑠伯」に発表した「マーキュリーの靴」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1982年(昭57)に「問題小説」に発表した「塔の女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1983年(昭58)に「別冊小説宝石」に発表した「秋色軽井沢」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984年(昭59)、「週刊新潮」に発表した「死びとの座」が「週刊文春」の84年「傑作ミステリーベスト10」の7位に選ばれる。
1985年(昭60)に「別冊小説宝石」に発表した「材木座の殺人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1975年(昭50)から「幻影城」に掲載し、休刊とともに中絶した「探偵作家尋訪記」が、1985年(昭60)に「幻の探偵作家を求めて」として刊行。
1997年(平)に編んだアンソロジー「硝子の家」が探偵小説研究会の「本格ミステリ・ベスト10」の7位に選ばれる。 2001年(平13)、第1回本格ミステリ大賞の特別賞を受賞。
2002年(平14)、多臓器不全で死去。予告されていた「白樺荘事件」は途中まで書かれていたと噂されているが、ついに未刊。
2002年(平14)、日本ミステリー文学大賞特別賞受賞。
アリバイ崩しや密室などを得意とする本格派。また、数々のアンソロジーを編み、埋もれた探偵小説の発掘にも熱心。新本格派の生みの親のひとり。

幻影城掲載誌:3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/19/20/21/22/23/24/
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荒正人(あら・まさひと)

1913年(大2)、福島県生まれ。東京帝大英文科卒。別名赤木俊。
1939年(昭14)、大井広介の「現代文学」に参加し、平野謙らと知り合う。
戦時中、平野謙、埴谷雄高、佐々木基一、坂口安吾らと、探偵小説の犯人当てに興じてから、本格物を愛好するようになる。
1946年(昭21)、埴谷雄高、本多秋五らと共に「近代文学」の創刊に加わり、評論活動をおこなう傍ら、海外探偵小説の翻訳や探偵小説の評論を発表。その探偵小説観は知的ゲーム説に基づいている。第14回までの江戸川乱歩賞の選考委員。
1949年(昭24)、「別冊宝石」に「探偵小説小論」を発表。
1974年(昭49)、「漱石研究年表」により、第16回毎日芸術賞受賞。
1979年(昭54)、脳血栓により死去。

幻影城掲載誌:7/11/18/作家が語る探偵小説観/


有馬頼義(ありま・よりちか)

1918年(大7)、東京青山生まれ。父は伯爵の有馬頼寧で、近衛内閣の農相時代に農民文学懇話会を設ける。戦後は中央競馬理事長となり、「有馬記念競馬」の名前の元となった。しかし、戦犯指定を受けて、巣鴨に拘置され、財産は差し押さえられた。母は皇族は北白川家の出。
1937年(昭12)に短編集「崩壊」を出版。その原稿料を受け取ったことが原因で、教師の怒りをかい、高校を放校になる。
父が拘置され、財産を差し押さえられたため、カストリ雑誌に小説を書きまくる。
1944年(昭19)、「晴雪賦」により第4回国民演劇脚本情報局賞を受賞。
1950年(昭25)、「改造」の第一回懸賞に「河の唄」が選外佳作に入選。この作品は林芙美子に送っていた。
1951年(昭26)、「文芸春秋」の懸賞に「皇女と乳牛」が入選。
1954年(昭29)、同人であった「文学生活」に発表した「終身未決囚」により、第31回直木賞受賞。
1956年(昭31)、初の探偵小説「三十六人の乗客」を「オール読物」に掲載。
1957年(昭32)、文壇作家の探偵小説勉強会「影の会」を発足。翌年には使命を終えたとして解散。
1957年(昭32)に「別冊文藝春秋」に発表した「白猫のいる家」が1958年(昭33)に第11回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本文藝家協会の「創作代表選集 21(昭和32年後期)」に収録される。
1958年(昭33)に「別冊文芸春秋」に発表した「バラ園の共犯者」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1958年(昭33)に「週刊読売」に発表した「四万人の目撃者」が、1959年(昭34)、第12回日本探偵作家クラブ賞を受賞。最初はこの作品を野球小説であるとして、受賞を辞退していたが、江戸川乱歩の勧めで賞を受けた。
1959年(昭34)、「リスとアメリカ人」を「週刊サンケイ」に発表。
1964年(昭39)、成蹊大学野球部監督に就任し、東都大学リーグ三部で二度優勝。また、ノンプロチーム「東京セネターズ」のオーナー兼監督兼投手でもあった。
1970年(昭45)、「早稲田文学」編集長に就任。
1972年(昭47)に「オール読物」に発表した「孤立の思想」は日本文藝家協会の「現代の小説 1972年度前期代表作」に収録される。
1972年(昭47)、川端康成の自殺に衝撃をうけて、ガス自殺を図るが未遂。
1973年(昭48)には「東京空襲を記録する会」理事長に就任。
松本清張と並ぶ社会派の双璧と目される。
1980年(昭55)、脳溢血により死去。

幻影城掲載誌:34/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


泡坂妻夫(あわさか・つまお)

本名厚川昌男、ペンネームは、本名のアナグラムである。1933年(昭8)、東京生まれ。インターナショナル・ブラザーフッド・オブ・マジシャンズ所属。
紋章上絵師だったが、廃業。
1957年(昭32)、「邪宗門奇術クラブ」に入会し、1969年(昭44)には著名な奇術の賞である「石田天海賞」を受賞。
1975年(昭50)、「DL2号機事件」が「幻影城第一回新人賞小説部門」に佳作入選し、1976年(昭51)に発表。
1976年(昭51)に刊行した「11枚のとらんぷ」が、1977年(昭52)に第30回日本推理作家協会賞長編賞候補作となる。また、同時に「日本図書館協会選定図書」にも選定される。
1976年(昭51)に「幻影城」に発表した「曲がった部屋」が1977年(昭52)に第30回日本推理作家協会賞短編賞候補作となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1977年(昭52)に刊行した「乱れからくり」が、1978年(昭53)、第31回日本推理作家協会賞長編部門受賞。同時に1977年(昭52)には第79回直木賞候補なる。元々は「からくり図式」と仮題されていた。
1977年(昭52)に「幻影城」に発表した「砂蛾家の消失」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1978年(昭53)に「幻影城」に発表した「椛山訪雪図」が、1980年(昭55)に第84回直木賞候補となる。
1979年(昭54)、中井英夫日影丈吉とともに全編暗号で書かれた短編集「秘文字」を刊行し、「かげろう飛車」を発表。
1979年(昭54)に「小説宝石」に発表した「ダイヤル7」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1980年(昭55)に「小説現代」に発表した「天井のとらんぷ」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1980年(昭55)に刊行した「花嫁のさけび」が「週刊文春」の80年「傑作ミステリーベスト10」の8位に選ばれる。
1980年(昭55)に「小説宝石」に発表した「目吉の死人形」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和56年度」に収録される。
1982年(昭57)に刊行した「亜愛一郎の転倒」は、当初は「幻影城」に発表されていた「連作・亜です、よろしく・第5-6話」と「連作・亜愛一郎の驚愕・第1-4話」に「野性時代」掲載分を加えてまとめたものである。
1982年(昭57)に刊行した「喜劇悲奇劇」が1982年(昭57)、第9回角川小説賞受賞。
1983年(昭58)に刊行した「妖女のねむり」が「週刊文春」の83年「傑作ミステリーベスト10」の10位に選ばれる。
1983年(昭58)に「野性時代」に発表した「飯鉢山山腹」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1983年(昭58)に「ショート・ショート・ランド」に発表した「大仕事」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1984」に収録される。
1983年(昭58)に「別冊文藝春秋」に発表した「ゆきなだれ」が、1985年(昭60)に第93回直木賞候補となる。
1984年(昭59)に刊行した「花嫁は二度眠る」が「週刊文春」の84年「傑作ミステリーベスト10」の10位に選ばれる。
1984年(昭59)に「別冊文藝春秋」に発表した「鳴神」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1985年版」に収録される。
1985年(昭60)に「週刊小説」発表した「くれまどう」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1985年(昭60)に「問題小説」に発表した「南蛮うどん」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和61年度」に収録される。
1986年(昭61)に「別冊文藝春秋」に発表した「忍火山恋唄」が、1986年(昭61)に第95回直木賞候補となる。
1986年(昭61)に「小説推理」に発表した「孤の香典」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1987年版」に収録される。
1986年(昭61)に「小説新潮」に発表した「絹針」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1987年(昭62)に刊行した「しあわせの書」が「週刊文春」の87年「傑作ミステリーベスト10」の6位に選ばれる。
1987年(昭62)に「別冊文藝春秋」に発表した「忍火山恋歌」(「折鶴」所収)が1988年(昭63)に第16回泉鏡花文学賞受賞。同時に1987年(昭62)に第98回直木賞候補となる。
1987年(昭62)に「週刊小説」に発表した「江戸桜小紋」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和63年度」に収録される。
1987年(昭62)に「小説新潮」に発表した「家」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1988年版」に収録される。
1988年(昭63)、優れた創作奇術の発表者に贈られる賞「厚川昌男賞」が制定。
1988年(昭63)に「小説宝石」に発表した「雨女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1989年版」に収録される。
1989年(平1)に「小説新潮」に発表した「弱竹さんの字」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。
1987年(昭62)に「小説新潮」に発表した「陰桔梗」にて、1990年(平2)に第103回直木賞受賞。同時に1989年(平1)、第3回山本周五郎賞の候補となる。また、日本文藝家協会の「現代の小説 1988」に収録される。
1990年(平2)に「小説新潮」に発表した「わんわん烏」は日本文藝家協会の「現代の小説 1991」に収録される。
1991年(平3)に「小説すばる」に発表した「藤棚」は日本文藝家協会の「現代の小説 1992」に収録される。
1994年(平6)に刊行した「生者と死者と」が「週刊文春」の94年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1992年(平4)に「小説NON」に発表した「連理」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成5年度」に収録される。
1992年(平4)に「小説宝石」に発表した「ダッキーニ抄」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。
1993年(平5)に「小説中公」に発表した「埋み火」は日本文藝家協会の「現代の小説 1994」に収録される。
1993年(平5)に「問題小説」に発表した「手相拝見」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成6年度」に収録される。
1994年(平6)に「小説中公」に発表した「静かな男」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1995年版」に収録される。
1994年(平6)に「小説宝石」に発表した「六代目のねえさん」は日本文藝家協会の「現代の小説 1995」に収録される。
1995年(平7)に「小説中公」に発表した「鶴の三変」は日本文藝家協会の「現代の小説 1996」に収録される。
1997年(平9)に「問題小説」に発表した「飛奴」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成10年度」に収録される。
1998年(平10)に「小説新潮」に発表した「心中屋」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成11年度」に収録される。
1999年(平11)に「問題小説」に発表した「仙台花押」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成12年度」に収録される。
2000年(平12)、「奇術探偵曽我佳城大全集」が宝島社の「このミステリーがすごい!」1位に、また「週刊文春」の2000年「傑作ミステリーベスト10」の6位に選ばれる。更に探偵小説研究会の「本格ミステリ・ベスト10」の1位に選ばれる。
2002年(平14)に「問題小説」に発表した「夢裡庵の逃走−夢裡庵先生捕者帳」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成15年度」に収録される。
2003年(平15)に「問題小説」に発表した「えへんの守」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説 2004」に収録される。
2004年(平16)に「オール読物」に発表した「十二月十四日」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成17年度」に収録される。
2004年(平16)に「問題小説」に発表した「精神感応術」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説2005」に収録される。
チェスタトンばりの奇術的手法を駆使した奇抜なトリックが得意。

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アンブラー,エリック(Eric_Ambler)

1909年(明42)、イギリスのロンドン生まれ。
ロンドン大学で工学を学び、機械技師、ボードビリアン、コピーライターを経て、広告会社の重役に至り、
1937年(昭12)、「暗い国境」を刊行。
1937年(昭12)、「恐怖の背景」を刊行。
1938年(昭13)、「あるスパイの墓碑銘」を刊行。
1939年(昭14)、「ディミトリオスの棺」を発表。この作品は1960年(昭28)に本邦初訳として村崎敏郎により訳された。
1940年(昭15)から陸軍に入り、イタリアにて軍のための映画製作に従事し、キャロル・リードと知り合う。映画脚本「The_Way_Ahead」を執筆。が、1946年(昭21)退役後はハリウッドでシナリオライターとして活躍し、
1950年(昭25)にチャールズ・ロッダとの合作で、エリオット・リード名義で「スカイティップ」を刊行。
1951年(昭26)、「デルチェフ裁判」を発表。
1953年(昭27)、「シルマー家の遺産」を発表。
1959年(昭34)に発表した「武器の道」により、1959年(昭34)にイギリス推理作家協会クロスド・ヘッド・ヘリング賞(ゴールドータガー賞)を受賞。
1962年に発表した「真昼の翳」により、1962年(昭37)にはイギリス推理作家協会次点賞(シルバー・タガー賞)を、1964年(昭39)にはアメリカ探偵作家クラブ長編賞を受賞。
1969年(昭44)、「インターコムの陰謀」を発表。
1975年(昭50)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
1986年(昭61)、イギリス推理作家協会ダイヤモンド・タガー賞を受賞。
豊かな文学性に裏づけられたスパイ小説が得意。
1998年(平10)、死去。


安間隆次(あんま・りゅうじ)

朝日新聞文芸部記者。日本推理作家協会賞予選委員。

幻影城掲載誌:7/16/18/21/別冊幻影城掲載誌:1/2/3/4/


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